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われも湖の子

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Entry#15

目に見えぬものを育む力

西坊 信祐さん(にしのぼう しんゆう)

三井寺のお坊さんは皆、八面六臂の多忙さである。顕教、密教、修験道の三道融会の天台寺門宗の総本山、三井寺を決して多くはない人員で守られている。西坊さんだけをコマ送りでみても、数々の法事は言うに及ばず、参拝客の境内案内や取材対応、体験プログラムの手ほどき、文化財の特別公開での解説もされる。大護摩で山伏となった翌日にはイベント来場者の交通整理、8月にはなぜか妖怪と化す。晩年に三井寺で出家したという藤原為時氏が令和の三井寺を見たら、きっと仰天するだろう。

初めて西坊さんを境内でお見かけしたとき、えらい可愛らしいお坊さんやと思った。あれからかなりの年月が経つが、相貌はあまり変わっておられない。母方の祖父母が暮らす三井寺に夏休みの度に来ていた西坊さん。祖父敬全さんの説法の傍らでお守りを売る手伝いをしたり、境内で遊ぶのが大好きな少年はやがて西坊家の養子となった。
「とはいえ、僧侶になるというのは大変なご決意だったでしょう?」
「得度したのは中学二年です。でも僧籍を継ぐ気はなく、ずっと伊賀の両親のもとで暮らしていました」
いくら祖父母を慕い三井寺が好きであっても、多感な時期は家族関係と自我の葛藤に悩んだこともあっただろう。やがて成人し、学業を終え地元の一般企業に就職して二年が経った頃、西坊さんに人生の転機が訪れる。
「24、5 歳の頃でした。三井寺の祖父母の最期を目の当たりにして、祖父母の他界で三井寺との縁がなくなってしまうことを、堪らなく寂しく感じている自分に気が付いたんです」
湖国にある三井寺で祖父母と共に過ごした時間は、ご自身が認識していた以上に西坊さんの人格形成に影響し、心の拠り所となっていたのかもしれない。改めて自己と向き合い、西坊さんは当時の職を辞し、覚悟を決めて僧侶となった。

入山から20年余りの歳月が経った現在、ご自身のお寺観を聞いてみた。
「お寺って生産性は全くないんですよ。衣食住と違って、突き詰めていくとなくてもいい存在です」
確かに、そう言われればその通り。
「でも、目に見えないものを育む力がお寺にはあるんです。私は本当に三井寺が好きで、このお寺をもっと多くの人に知ってほしいのです。そのためにしたいことが沢山あるんです」
西坊さんの口からきくと説得力がある。大上段に構えるお寺ではなく、福家長吏の目指される誰にでも広く門戸を開く寺にあっては、前例がないイベントも寺の経営を考えると必要なこと。人あっての寺だと西坊さんは言う。

現在は山内で奥さんと愛犬と共に暮らす西坊さん。家事を分担する夫君の顔も持つ。
「西坊さんは三井寺では中堅ですか?」最後に聞いてみた。
「いやぁ、まだまだです。中堅になるにはあと20年くらいかかるでしょう」と笑う。
20年後にあの石段はきついけれど、悠久の三井寺で参拝者をいつも平らかに迎える西坊さんを、 20年後に是非再びお訪ねしたい。

(2024年2月11日 記)

目に見えぬものを育む力 西坊 信祐さん

祖父の西坊敬全さん

昔も今も変わらない三井寺の金堂

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