点を立体にする仕事師
岡猛さん(おかたけし)
「この家には直角っちゅうもんがないけ、やりにくいわのう」とぶつぶつ言いながらも、私がインターネットで拾った画像をつなぎ合わせてイメージを伝えると、「こういうことかの?」と絵を描き、施主の要望をくみ取り形にしてくれた大工さんだ。うちの舟板を埋め込んだ壁の他にも、随所に岡さんの経験値がないと出来ない造りがある。私が黄色い賞賛の声をあげると、「ちょっと遊ばせてもろうたわい」とニヒルに笑う。建築現場にも AI はどんどん入ってきているが、この人は取って代わられない人だと思う。時にひょいひょいと屋根に上がったと思うとあっという間に古い看板を外し、内階段の奥壁に取り付けてくれる。岡さんの白髪頭越しに「大丈夫かいな…」と下から見上げていた私は、現役大工さんの体幹のすごさに圧倒された。
五島列島の福江島、三井楽出身の岡さんは七人兄弟の六男坊だった。昭和 38 年 3 月末、集団就職で関西に来た。最初の現場は野洲のアサヒビールだったという。ビルや住宅の建築はもちろん、39 年のオリンピックや40年の万博、映画界全盛期のセットの製作現場など、まさに日本の右肩上がりの高度成長期を支えた人だ。奥さんと知り合って25歳で自分の家を建てた。見習いの頃なかなか仕事を教えてもらえない飯炊き時代もあったというが、あらゆる現場を渡り歩いて身に着けた知識と技、培った勘で仕事を取ってきた正真正銘の叩き上げだ。
岡さんに出会ったのはうちの改築で平成最後の年。年齢は一回りほど違うが、昭和 40 年代の大津、特に皇子山の記憶は目の高さこそ違えど、同じ写真を見るように共有しているから面白い。朝 5 時には起きて琵琶湖岸まで散歩し、畑を見回り一仕事してから現場に行くという。生まれ故郷の五島をこよなく愛し、車では島津亜矢を流す。岡さんの元気さを見ていると、私の方が見送られるかもしれないとさえ思う。