郷土の誇りを次世代に引き継ぐ (田上郷土史料館館長)
東郷正文さん(とうごうまさふみ)
史料館といえば薄暗く、輪郭がぼんやりしたものが並んでいるという印象だ。だが、大津市牧の田上郷土史料館は違う。数年前に大津市歴史博物館での田上手ぬぐいの特別展を見、地元誌の東郷正文館長のインタビュー記事を読んで以来訪ねてみたかった場所だ。実際、その収蔵品の数と力強さに驚いた。
江戸期から昭和にかけての農具や民具だけでも3,000点を超え、またそれとは別の1,358点の「田上の衣生活資料」は国の登録有形民俗文化財である。三か所の収蔵庫に所狭しとひしめく。この地の田畑で映えたであろう早乙女装束、ハレでもケでも上田上の女性がかぶっていたという田上てぬぐいの絵柄が私は好きだ。実用であり、礼儀であり、また装身具として欠かせないものだったというこの土地の文化である。
衣生活資料のほかにも、東郷さんと今は亡き田村さんが本業の傍ら半世紀をかけて収集し、地道に記録した民具や農具の収蔵品は圧巻だ。必要性から生まれた農具は使い込まれて改良され、様々な仕様が生まれ、当時の村人の息吹を今に伝える。離農や省力化で捨て去られる民具や農具に、東郷さんたちが文化的価値を見出し救済しなければ、モノそのものだけでなく文化すら風化してしまったかもしれない。本当によくぞ残されたと思う。日本の農村の生活史をインバウンド旅行者に紹介するなら、私は一番にこの史料館にお連れしようと思う。史料館そのものの見応えもさることながら、東郷さんの漫談のような語り口調が聴く者を魅了する耳愉しい場所でもある。
東郷さんは元々、この二つの収蔵庫が位置する真光寺(浄土真宗)のおじゅっさんである。
「今朝も三軒月参りに行ってきた。檀家は120件、月命日、祥月命日を合わせて年12回、各家を全部回ると、毎日、毎日三、四件はある。365日や」
こう言いながら、東郷さんは寄託された絣のマエダリ(三巾前垂れ)やさまざまな衣の資料を次々と広げてくださる。淀みなく繰り出る東郷さんの解説は情報量が多くて、ついていくのが大変だがとても楽しい。檀家の皆さんも月参りでこのご住職と付き合いがあるからこそ、これだけの系統だった史料館が完成したのだろう。
52才まで中学校の社会科教員を30年続けたという東郷さん。古き良きものの保存や体系化だけではなく、現在もコロナ禍の子供たちのために芋畝を残したり、地域の祭りを引っ張ったり、環境整備だけでも数年を要する蛍の養殖にも20年取り組んでいたり、常に次の世代のために動いている人だ。
そういえば、境内外の第二史料館で凄い数の竹籠が目に飛び込んだとき、
「竹籠、カビませんか?」思わず聞いてしまった。
「絶対カビひん。木六竹八!知ってるか?昔の道具は適切な時期に切った材料を使ってるから大丈夫なんや」
いい味の所蔵品にこちらの興味もあちこちに飛んでしまうが、そのたびに東郷さんの詳しい解説が入る。今もかつての教え子が、環境保全に蛍の幼虫を貰い受けに来られるというのもわかる。きっと東郷先生の社会科の授業はワクワクするものだったに違いない。
「わしは腹が立ってしょうがないのや。昔の人はこんな暮らしをしてた。今は省力化で十分の一もしてないのにエライエライと言うわえ」と民具を前にぼやきも混じる。だが、それは先人の汗や労苦への労いである。この地の知恵や古人の工夫を伝える東郷さんに郷土への深い愛と誇りを感じるからこそ、この史料館の見学は愉しく興味が尽きないのである。
(2022年7月1日 記)
昭和40年代半ばまでこの装束で畑仕事をしていた上田上の女性たち。大原女に負けていません。 (田上郷土史料館蔵)
境内の第一史料館に掲げられた設立趣旨
元農協の倉庫だった第二史料館に収められた民具や農機具